チェコ映画の巨匠たち〜その2〜

Jan Nemec(ヤン・ニェメツ) 1936~


チェコ・ヌーヴェルヴァーグの異端児と称されるヤン・ニェメツ監督は
1936年7月12日、チェコスロヴァキア(現チェコ共和国)の首都プラハに生まれ、1954年、プラハ芸術アカデミー映画学部(FAMU)監督科に入学。在学中の助監督経験を経て、1960年の卒業制作として、アルノシュト・ルスティク(Arnošt Lustig)が作者自身のホロコースト体験をもとにした短篇『2回戦 (Druhé kolo)』を翻案し、短編映画『一口分の食料 (Sousto)』で、同年のアムステルダム学生映画祭でオランダ映画連盟銀薔薇賞、翌1961年、オーバーハウゼン短編映画祭で大賞、メルボルン国際映画祭では特別賞をそれぞれ受賞、24歳にして国際的な名声を得る。

プラハのバランドフ撮影所に入り、1964年、長篇映画『夜のダイヤモンド(Démanty noci)』(アルノシュト・ルスティク原作)で長篇監督としてデビュー、同年のマンハイム国際映画祭で大賞、翌1965年にはペサロ映画祭で長編映画国際批評家賞を獲得しました。同作は日本でも1968年9月にATGの配給で公開されています(アート・シアター61号)。翌1965年、イジー・メンツル、エヴァルト・ショルム、ヴィエラ・ヒチロヴァー、ヤロミル・イレシュというチェコの若手監督によるオムニバス映画『海底の真珠 (Perličky na dně)』(ボフミル・フラバル原作)に参加。1966年に、傑作『祭りと招待客(O slavnosti a hostech)』や人気歌手マルタ・クビショヴァーを配役した『愛の殉教者たち(Mučedníci lásky)』を撮影しました。


1968年8月21日にチェコスロヴァキアはソ連の戦車に侵攻された際、彼が撮影した材料を国外に持ち出し、長編映画はドキュメンタリー『プラハのためのオラトリオ (Oratorio for Prague)』(製作クロード・ベリ、ジャン=ピエール・ラッサム)を作りました。同作は「プラハの春」に終焉をもたらせた1968年のソ連のプラハへの軍事介入を描き、発禁処分を受けましたが、ニェメツのフッテージは、結果、侵略映像のストックとして無数の国際報道機関に使われました。のちにニェメツは、フィリップ・カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』(1988年)の原作(ミラン・クンデラ)翻案のアドヴァイザーでもあり、同作では、集められた侵略についてのニェメツのオリジナルな映画作品が使われました。

1974年、西ドイツに政治亡命し、フランス、スウェーデン、イギリスのテレビ界で活躍したのちに渡米。

1989年12月チェコに帰国。1993年、映画製作配給会社「ヤン・ニェメツ・フィルム」を設立。
ヤン・ニェメツの妻にマルタ・クビショヴァー、エステル・クルンバホヴァーがいました。