Sedmikrásky ひなぎく トークショウ全文

『ひなぎく』上映後のペトル・ホリー(チェコ蔵主宰)によるトークショウの全文です。

『ひなぎく』の撮影の舞台裏・当時の時代背景など詳しく解説しています。

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聞き手:くまがいマキ(チェスキー・ケー代表)

ー今日は『ひなぎく』がつくられた当時のチェコ(チェコスロヴァキア)の様子や、撮影の舞台裏の話をお聞きしたいと思いますこの作品は2人の主人公が非常に魅力的ですが、2人ともオーディションで選ばれたそうで、それまで演技の経験の全くなかった2人がどのように選ばれたかをまず教えていただけますか?


『ひなぎく』の前に、『水底の真珠』(1965年)というオムニバス映画にヒティロヴァー監督も参加して非常に注目を浴びました。その頃に既に『ひなぎく』の脚本をエステル・クルンバホヴァーと共に書き上げていましたが、主人公をどうするかというのは最後の最後まで決まらなく色々と悩んだらしいです。オーディションも色々やっていたけれど、そこでは見つからず困っていたところ、まず、マリエ1をシネマクラブで見つけたそうです。どこからか、女性の声が聞こえてきて、ピーチクパーチクと面白くて、顔を見る前にその声がいいなと思い、マリエ1にようやく出会えた。

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ーマリエ1役のイトカ・ツェルホヴァーさんは帽子屋の店員さんだったとか?


普通に働いていて、演技の経験も全くなかったそうです。フランスのヌーヴェルヴァーグや、日本の60年代もそうだったと思うんですが、ノンアクターがチェコでは主流で、例えば、ミロシュ・フォルマン監督もプロの俳優を使っていません。 65年にチェコで何千人という若者を集めて行う「体操ゲーム」(Spartakiáda)が行われました。北朝鮮のマスゲームのような国のイベントです。社会主義国でしたから。プラハに全国から若者が集まってきてスタジアムで共産党の幹部の前で同じ体操を行います。ヒティロヴァー達はそれに目をつけて、いい人がいないかと若者たちに紛れて探し、オーディションのビラを撒いて、来てくださいと宣伝をしたら、何人かが来てくれて、最後の最後で、マリエ2が来たそうです。

ーツインテールの方、イヴァナ・カルバノヴァーさんですね。学生さんだったとか?

そうです。リベレッツという町の普通の学生でした。元々、1人は監督の仲のいい女優さんにするつもりで決まっていたそうですが、相手役との組み合わせが上手くいかず、結局、素人2人になったそうです。


ー全然、演技経験のない2人を監督はどう演出したのでしょうか?

ヒティロヴァーさんですから、怒鳴ったり(笑)。灰皿を投げるわけじゃないですけど、容赦のない監督さんでしたから。

ー裸のシーンもありますよね。

裸になった方のマリエ1役の彼女はすごく恥ずかしがり屋で、難しくて。もう1人のマリエ2役の方は、なんでもやっちゃうタイプで、丁度、逆の性格の組み合わせだったんですね。 彼女達が使うチェコ語はプラハ訛り、下町訛りで、ものすごく汚いですね、発音は。それを聞くと俳優じゃないということが判るんです。女優さんの発音じゃない、生々しい。チェコの場合はFAMU(プラハ芸術アカデミー映画学部)を卒業しないと俳優になれないというエリートコースがありましたから。
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ーヒティロヴァー監督の経歴も面白いですよね。


最初はモデルさんで、それから1950年代『ゴーレム』という映画にスカウトされて、三人官女の1人として出演して。色々と社会で働いた後にFAMUに入学し、バーブラ監督という伝説的な方のクラスに入るんです。だから、チェコヌーヴェルヴァーグの他の監督達、ヤン・ネメッツやエバルト・ショルム、ヤロミール・イレシュといった同級生達よりも彼女は少し年上なんです。 ヒティロヴァー監督のお父さんは駅長さんだったため、映画によく電車が登場しますし、田舎だったからりんごが好きで、りんごも多くの映画に出てきます。

ー『ひなぎく』がつくられたのは1966年ですが、68年のプラハの春の予兆のような感じがするんですが。

そうですね。自由化が進む緩和の時代。それでも勿論、検閲がありますよ。だからこの映画がつくられたということは、検閲官が馬鹿だったということなんですね(笑)。シナリオを読んで意味するところを理解しない、行間を読むような教養がなかったといいますか。

ーシナリオの段階の検閲をかいくぐって撮影にこぎつけて、完成した作品の試写を見て国会議員が国家予算の無駄遣いだと怒ったそうですね。


有名な話ですが、国会の会議の議題としてこの作品が取り上げられて「共産主義を支持する我々はこの映画を見てどう思えばいいのだろうか。国民、労働者が尽力しておいしい料理をつくったとしても無駄にされ、踏みにじられている、いいのだろうか?」と真面目に議論された。ただ既に監督の名声は欧米に広がっていて、共産圏でこういう映画がつくられたということが外国の映画関係者には衝撃で、影響を受けた映画人も多かった。

ー政治家は映画を公開したくなかったけれど、労働者向けの試写会でウケて、結局、公開はされたそうですね。


労働者はヒティロヴァーが本当に見せたかったものを見たんだろうなと思います。面白がったし、笑った。2人の悪さや、ずる賢さに対して。どんな悪いことをしても可愛くすれば許されるという破壊の仕方・方法をヒティロヴァーが見せてくれたんじゃないかと思うんです。だから映画は「破壊」がメインテーマですね。腐った社会を写す像だと監督は言っています。

ー『ひなぎく』の次の作品も問題視されて監督は映画を撮る機会を奪われますが、それはやはりプラハの春の終わりとも関係していますよね。


そうです。チェコは1960年代に入って、ようやくスターリン主義が終わります。50年代にプラハに建てられた25メートル位のスターリンの像が、1962年頃にダイナマイトで破壊され撤去されます。

ーチェコというのは旧ソ連の社会主義陣営の中に入っていて、共産党やソ連に対する抵抗がずっと国民の側にはありますよね?

50年代というのは、抵抗すると死刑になるという恐ろしい時代でした。それがようやく1962年頃になり、映画界にヒティロヴァー、リプスキー、メンツェルという若い世代が出てきて、それまでの社会主義リアリズムに反抗するようになる。検閲の中でも、優しい自由、生意気を言っても通るという時代が60年代にはしばらくあった。でも結局、1968年にソ連の戦車がプラハに入ってきて全部駄目になりました。(註:ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍が集団的自衛権行使の名目で軍事介入し、プラハの春を弾圧した)

ーチェコ全土が武力制圧され、100名以上が殺される中、国民は非暴力抵抗をしました。


その時、プラハのラジオ放送局は最後まで「(暴力に対し)抵抗しないで下さい」と言っていました。抵抗すると余計に大変なことになるので。(註:電信局の女性達は、武力制圧の状況をこっそりと無線で知らせ、世界中にそのことを知らしめた)それでプラハの人達は花を持って、ソ連兵を説得しようとしたりしましたが結局駄目でした。一夜にして全てが引っくり返されてしまった。(註:政府に対し自由を求め活動していた人々が秘密警察に摘発されるとの情報が流れると、逮捕を遅らせようと、一夜にして、街中から通りの名前、番地、アパート名などの標識や文字が撤去され、ヴァーツラフ広場の「自動車進入禁止」の標識が「戦車侵入禁止」に替えられ、「モスクワへ1800キロ」の標識だけが残されたという) それまでも「不自由の中の自由」でしたが、その自由がなくなってしまった。例えば、67年とか8年頃は、西側にも行けたんですね。50年代は全く駄目でしたが。それが、68年の8月20日から21日にかけて戦車が来て、69年から非常に締め付けが厳しくなった。ヤン・ネメッツ監督やミロシュ・フォルマン監督は、2人とも国外に亡命するわけです。他にも作家のミラン・クンデラがそのしばく後に、パリに亡命しました。70年代に入るといわゆる「正常化の時代」になる。

ー自由な路線に寄っていたのを共産党の「正しい」路線に戻すという意味で、表現の自由もなくなってしまう。


その中で、ヒティロヴァーも、シュヴァンクマイエルも国内で、6〜7年映画を作らせてもらえない。ブラックリストに載るわけです。

ー名作小説の映画化という形で通りやすそうなシナリオを提出して検閲を逃れようとしても、撮らせてもらえなかったんですよね。

美術と脚本を担当したエステル・クルンバホヴァーは90年代までずっと、全く、仕事をさせてもらえなかったんです。

ークルンバホヴァーは自分の監督作品もある方ですね。


脚本家でデビューして、美術家・衣装デザイナーとしても有名でした。脚本は、例えば、ヤロミール・イレシュ監督の『ヴァレリエと不思議な一週間』や、ヤン・ネメッツ監督の『夜のダイヤモンド』もそうですし。ちなみに今日(7/12)がネメッツ監督の誕生日です。まだご存命です。クルンバホヴァーはネメッツの奥さんでもあったんです。みんな繋がっています。『ひなぎく』のカメラマン(撮影)のクチェラは当時、ヒティロヴァー監督の旦那さんでしたし。 俳優はノンアクターでしたが、当時の色々な映画を見ると、同じような人達が出てくるんです。『ひなぎく』の中で、マリエ1の恋人が登場しますね、ピアノを弾いている。彼はヤン・クルサークと言いまして、色々な映画音楽も作っている作曲家なんです。『ヴァレリエ〜』にもすけべな宣教師で登場します。それからトイレのシーンで、(背中のあいたドレスを着て)「飛べない天使」とマリエ達に言われるすらーっとした女性(ヘレナ・アニージョヴァー)も、『ヴァレリエ~』でお婆さん役をやっている人なんです。それからユライ・ヘルツの『火葬人』という映画があるんですが、その中では彼女は妖精の役で出てきます。彼女は実は映画の衣装さんなんです。だから、プロの俳優ではないんです。

FAMU(プラハ芸術アカデミー映画学部)というのは少数精鋭で、イジー・メンツェル監督とヒティロヴァー監督は同期だったり、あの時代に出てきた人達は関係が深いですよね。みんな協力し合って、お互い愛し合ったり、嫌いになったり(笑)。


ーチェコ映画の歴史の中で、ヒティロヴァー監督や『ひなぎく』はどういう位置づけなんですか?

知らない人はいない、そうかといって、今の若い世代はあんまり見ない。日本とは違うので、すごくもったいないです。今年の3月12日にヒティロヴァー監督は亡くなりましたが、ある人達にとっては大変な衝撃なんですが、若い人達は「年を取った映画監督が亡くなったんだ」という程度で。60年代のチェコ・ヌーヴェルヴァーグは、相当な映画好きじゃないと残念ながら見ないですね。ただ、国営のチェコテレビでは、毎週、1作品は当時の映画が紹介されていると思うんですが。 ヒティロヴァーは、娘さんもデザイナーで女優もやっていますし、ヒティロヴァーが先生としてFAMUで教えた世代の映画人も、今、40〜50代で活躍していますし、色々なものが受け継がれていると思います。 ヒティロヴァーには色々な逸話があって、彼女は声というか発音が悪かったんです。「r」の巻き舌が出来ない人で、スレスレの声なんです。みんなその声音を物真似していました。彼女のお葬式は盛大に営まれて色々な人が追悼のスピーチをしていました。そしたら途中で、突然「下手くそだよー!」「デタラメー! そんなの読んじゃ駄目ー!」というヒティロヴァー監督の声がしました。生前、誰かが撮影現場で録音した彼女の声をお葬式の時に流したんです。みんな騒然となって、泣き笑いに。演出だったんですね。ひょっとしたら、ヒティロヴァー自身の生前からの演出プランだったんじゃないかと思います。まるで鶴屋南北みたいに、自分のお葬式の演出をしていった。

ーヒティロヴァー監督は非常にパワフルな方で、91年に来日して日本各地をご案内したんですが、行く先々で騒動がありました。


お兄さんと一緒にいらしたみたいですね。

ーお兄さんも一緒だということを、私たち全く知らなくって、いきなり来られてびっくりしました(笑)。


お兄さんはオーストラリア在住で、亡命されていて、亡命したことで、ヒティロヴァー監督も色々大変だったようです。 この本(『Věra Chytilová zblízka』)の中で、ヒティロヴァー本人が言っているんですが、「秘密警察は、私のいけないところを知っていたけれど、私も彼らのいけないところを知っていたから結局、彼らは、私にとても酷いことは出来なかった」と。何度も取り調べを受けたらしいです。69年から70年代に。(秘密警察に協力している)映画の幹部の人達のことを彼女も色々知っているわけですから、しばらく映画を撮れなかったけれども、逮捕されるようなことはなかった。取り調べを受けている時も、とても魅力的だったし、有名な人物だったし。

ー実際に逮捕された人はいるんですか?

もちろんいます。例えば、ヤン・ネメッツ監督。彼は『パーティーと招待客』という映画を撮るんですが、主人公がレーニンのような顔をしていたために、(共産党批判と見られ)それは駄目だということで、逮捕。

ー命がけですよね。

そうですね。でもこの本を読むと楽しかったらしいですけどね。「そういう時代だったから面白かった」って(笑)。ヒティロヴァー監督は世界的にも有名で、アメリカでも絶賛されて、一度、60年代ですがアメリカに行くことを政府に許されて、その時はアンディ・ウォホールに会ったりしているんです。

ー最後に、会場の皆さんからも幾つか質問を受けたいと思います。

質問:日本語の字幕に翻訳した際に、チェコ語からだったんでしょうか? 英語からだったんでしょうか? 字数の制限もあるとは思うんですが、チェコ語ではもっと魅力のあることを言っているんじゃないかと思ったのですが。

ーチェコ語と英語のダイアローグリスト、シナリオがあってそこからでした。うちの父が字幕を作ったんですが、誤訳の部分もあって、実はずっと直したいと思っています。


 例えば、「no, no, no(ano, ano, ano)」と言っているところは相槌なんです。だから(マリエ2がショールをマリエ1にまいてもらうシーンは)「ダメ、ダメ、ダメ」ではなく、あのショールはあれでいいんです。「いいね」で、ダメではない(笑)。

質問:2人がしゃべっているしゃべり方が、すごく子どもっぽい感じがするんですが。

そうですね。やっぱり若い感じ、可愛くっていうか、子どもっぽいところもありますね。最後の方のシーンで「私たち幸せね」という台詞がありますが、チェコ語で普通は「šťastné (スチャストネー)」と言うんですが、彼女は「šťastná(スチャストナー)」とか、「アー」と、ものすごい発音で、それはいけない(笑)。(註:後で、シナリオを確認しましたら、わざと「šťastná(スチャストナー)」と書いてありました) 言葉はこの映画の中で非常に重要で、音楽も素晴らしいですが、言葉のリズム・抑揚というのはすごく大事なんです。彼女達の衣装などは可愛いんですが、それとは裏腹に、いけないしゃべり方をする。また、突然『ドイツレクイエム』の音楽が入ったりして、部屋の中で火を燃やす。あのシーンはチェコ映画の中で一番いい場面の一つじゃないかと僕は個人的に思うんです。美しいです。

質問:最後の「踏みにじられたサラダだけを可哀相と思わない人に捧げる」という意味は?

 

あれも実は誤訳です(笑)。(直訳は「踏みにじられたサラダだけを可哀相だと思う人に捧げる」)この映画を観て「料理がもったいない」としか思えない人達(サラダしか可哀相だと思わない人達)は可哀相だというふうに言いたかったと思うんですよね。それは明らかに検閲官や当局へのメッセージだと思うんです。ものすごい皮肉なわけです。最初と最後に空爆の映像があって破壊がありますが、ヒティロヴァーはこの本の中で「破壊を笑ってはいけないんだけれど、結局、この映画はコメディタッチなんだよね」というようなことを言っているんです。

ー当時のチェコ人にとって、最後のメッセージが皮肉だということは伝わっていたんですよね?


伝わったと思いますね。映画に出演したノンアクターの方達も、年齢からいって第二次世界大戦を経験した人達ばかりですから。主人公の2人以外の出演者ですね。年寄りの男性とか、トイレのおばさんとか、みんな戦争の恐ろしさを知っていると思うんですけど。それをあえて暗いところを笑い飛ばすというのがチェコ人にはあると思うんですね。有名な話ですけど、第二次世界大戦でヒットラーの右腕であったハイドリッヒ司令官がプラハにいて、結局、暗殺されるわけですが、彼が「チェコ人というのは笑う野獣だ」というふうに言っているんです(笑)。(註:ハイドリッヒはその残虐さから「金髪の野獣」と呼ばれていた)
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ーそれは褒め言葉ですね。

チェコ人にとってはすっごい褒め言葉。ハイドリッヒの時代は暗黒で沢山の人が殺されるんですが、それでもチェコ人は笑いながら堪える。

ータフな人達ですよね。
 

建前と本音を使い分ける。日本人と似ていますね(笑)